ネボ山~死海(ヨルダン)




【概要】
現在のヨルダン西部に位置する海抜817mの高い尾根。山頂からは、聖地の全景と、北にヨルダン川渓谷の一部が展望できる。モーゼの終焉の地としても有名。聖書では、神がイスラエルの民に与えられた約束の地を、ヘブライ人の預言者モーセに眺望させた場所がこのネボ山とされている(申命記32章49節)死海はヨルダンとイスラエルの間にある塩水湖。塩分濃度が高く、人が湖につかると、特に手足を動かさなくても、自然に体が湖面に浮き出てくる。ミネラルの高い海水での療養を求めて、欧州からも観光客が訪れる。



私は仕事の関係でアジアを中心に世界を飛び回っています。そして海外を訪れると必ず足を運ぶのがパワースポットです。今回はヨルダンを訪れたときの話をしようと思います。
死海のあるヨルダンの首都アンマンは、エジプト、シリア、そしてイラクに囲まれています。世界の経済の中でも非常に微妙な位置にある町です。そのアンマンで、私は6日間の仕事を終え、ようやく休暇になりました。
早速出かけようと思ったのはモーゼの終焉の地として有名なネボ山、そして死海です。道中は砂漠で、見渡す限り砂、砂、砂・・・。そしてようやくモーゼ終焉の地とされるネボ山へ。

ネボ山については旧約聖書の出エジプト記の「十戒」に出てくるモーゼが導いた約束の地です。
私はこの地を訪れることによって、何を感じることが出来るだろうかととても興味を持っていました。
モーゼは知恵者で、全ての秘儀を教えてくれる存在です。
タロットカードに例えるなら隠者です。

隠者


私は小学校5・6年生の時に【十戒】という映画を見て、子どもながらに非常に感銘をうけたことを覚えています。その記憶の場所に到着すると思うともう、心はワクワク感でいっぱいです。
砂漠の中をさらに30分ほど走り、ようやく到着です。
着いてみると「ここが?」というぐらいにひっそりとした丘でした。その丘のゲートをくぐるとこのモニュメントが建っています。

ネボ山~死海

ネボ山~死海


そこを通リ過ぎ、アーキオロジカル・パークという場所に入ると綺麗なモザイクが飾ってありました。
一部を紹介します。

ネボ山~死海


その横の聖処女教会は残念なことに工事中でした。
そこを通リ過ぎると十字架に知恵を表すヘビの形をしたこのオブジェが現れます。

ネボ山~死海


ここは2000年前にはその時のローマ法王が、そして近年ではヨハネ・パウロ2世も訪れた場所です。
私はヨハネ・パウロ2世が亡くなる半年前、バチカンでお会いすることが出来ました。何かもの凄く縁を感じ、このマダバの道を歩きました。彼はどんな想いでここを歩いたのでしょうか。

そして、ここが<モーゼの約束の地>と言われた場所です。

ネボ山~死海


この場所にモーゼが立ち、ヨルダン川の東を指差して「あれが約束の地」だと言ったことが旧約聖書の出エジプト記にも書かれています。私はその場所に立った瞬間、まるでタイムマシンにでも乗ったかのように、過去に戻ったかのような感じがしました。なんともいえない不思議な感覚です。
もっとその感覚を味わいたかったのですが、すぐに死海のホテルにチェックインしなければならなかったため、この地をすぐに離れなければならなかったことが、私にとっては寂しく、そしてとても残念でした。

その後は真っ直ぐに死海へ

ネボ山~死海

ネボ山~死海


まずはモービックというホテルにチェックイン。

ネボ山~死海

ネボ山~死海

ネボ山~死海

ネボ山~死海


ホテルの部屋から見た、死海に沈んでいく夕陽はとても幻想的。最高のサンセットでした。
ロマンチックな気分に浸った後は、女性陣は死海にて泥パックでお肌のケア。無料のエステです。
もっとのんびりしたかったのですが、もう夜です。もっと時間が取れれば明日も泥パックを楽しめたのですが、スケジュールの都合で死海に滞在できるのはほんの僅か。
夕方5時のチェックインに朝の10時にチェックアウトという強硬スケジュールです。

とにかく死海にだけは入ってみようということで翌朝6時30分頃、死海の海へ…。

ネボ山~死海


私は水着を持ってきていなかったのでT-シャツに短パンで入水です。
これを見て下さい。

ネボ山~死海


この死海の塩が岩にこんなにくっついています。
ちょっと舐めてみたのですが、しょっぱさを通リ越して苦味を感じました。
想像以上だなと思いながら、もっと深くまで進みます。体が浮きすぎちゃって、ちょっと変な感じです。
この死海にはミネラルがたっぷり含まれているので、アトピーや病気の治癒にはよいとされ、一か月ほど療養される方も多いのだそうです。特に、オーストラリアやカナダ、ヨーロッパから来ている人が多いと聞きました。
日本でいう温泉療養のようなものですね。
私もすっかり癒され、死海を後にしたのでした。


2010.10.18         


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